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恋愛の超克



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個人的には、著者本人による人物プロフィールがツボ

小谷野敦はこの本で、誰もが情熱的に恋愛できるという思想を「恋愛教」とよび、それとそれを信仰しているとされる知識人を批判している。
私は概ね筆者の意見に賛同するが、一つ納得できないところがあった。

氏はもてない人間は恋愛結婚ではなく「友愛結婚」を目指せと提案しているが
特にこの友愛結婚が「両者合意の上でのセックスレス」の結婚のことならば、納得できない。
はたして友愛は友愛のままでありつづけることができるのか。
相手が異性の場合、親しくなるほどやはり好意が高まっていき、友情ではなく恋愛感情に変わってしまう可能性があるのではないか。

もし仮に、恋愛感情に変わってしまったとしよう。恋愛感情を持てば、相手とSEXしたいという気持ちも芽生えるだろう。
問題は恋愛感情を抱くのが、片方だけだったケースだ。
その場合、相手が自分にやはり友愛の感情しか持ちえないならば、恋愛関係とSEXを拒まれる可能性は十分ある。
往々にして、そのように「好きになってしまう」のは男のほうだといってよい。
氏は女性が「愛している」と言われたがっていると書いているが、ほんとにそうか?
最近の若者の傾向ではむしろ、女性は愛とか恋に淡白で、男のほうこそが純愛志向だったりする。
友愛が恋愛に変わって捨てられるのは、おそらく男のほうだろう。

学歴はともかくここまで氏とほぼ同じ恋愛遍歴、つまり童貞できた私だが、この点では小谷野氏には違和を感じざるをえない。
もてない男が女と暮らせば、そりゃ「異性として好きになってしまう」こともあるだろ。

氏が後に書いた小説「悲望」の主人公は、女性の誰ともコミュニケーションが取れないわけではない。
意中の女性には拒絶されているが、他にも女性は登場する。しかし彼女らに心が揺らいだという記述は見当たらない。

氏の恋愛観にはどうも「友情から恋心へ」という偶発的で不可逆的な感情のプロセスが欠落しているのではないかと思えてならない。

(後述)
先日テレビのドキュメンタリーで、趣味が高じて「友情婚」をした腐女子とオタクの夫婦がインタビューされていた。
しかし話を聞いてみると、二人の関係を友情と信じて疑わないのは腐女子、つまり妻のほうだけ。
夫の「僕は(相手のことが)好きなんだけどなぁ・・・」というつぶやきが印象的だった。
やっぱり友愛結婚は女はともかく、男には少々つらいものになりそう・・・。
あくまで私の力不足です(^^;

「もてる」ということ探求していた私が、立ち寄った一著。
現代における、「恋愛」はだれにでもできるという考えに対して
毅然と意義をとなえる著者に引かれ、読んでみることに。

感想としては、かなりの消化不良といった感じです。
恋愛に関しての著者の考えを知りたいと思い読み進めたものの
書かれているのは中絶についてであったり、売春についてであったり。
もちろん恋愛が話題の中心であるのだが、しょっちゅう話がそれてしまい
恋愛談義に集中してくれない。

また僕としては著者自身の意見というのをもっと知りたかったのだが、
著書の中では、上野千鶴子氏や宮台真司氏など多くの作家さん?たちの意見を
載せ、そして批評するというスタンスがメイン。

これがいわゆるイデオロギーの対立というのでしょうか?
文学関係に疎い僕にとっては、途中マニアックな内容が飛び交い
ちんぷんかんぷんになってしまうことも。

社会学関係の本は、素人でも実際におとしこんで考えていけるのだが、
こういった文学系の話は、予備知識がないとかなりきついと感じました。
また改めて読み直したいとおもいます。
恋愛論ではベストの内容。

前半は、「近代の恋愛観」に反論。

「誰にでも恋愛はできる、誰もが恋愛をしなければならない、それができないのは不幸な人たちだ」という考え方(筆者はこれを「恋愛教」と呼んでいるらしい)を批判。

恋愛することを否定するのではなく、できるやつはすればいいし、できない人間も確実に存在するのだから、できないやつはしなくていい、というのが筆者の意見。じゃあできないやつはどうすればいいのか?? 諦めろと。

後半は、売買春について。

真に売春者への差別をなくすべきだと考える者は、「自分の妻や娘が、売春することを認められる」者でなければならない、と筆者は言う。そうでない者は、たとえ売春を蔑視していないように見えたとしても偽善者であると。
ちなみに筆者は売買春否定派。

とにかく、面白い。
「妻の誕生日に...」

あとがきの日付のあとにこの一文をみつけ、めらめらと
怒りと嫉妬の炎が...。
離婚なさったそうなのでこの一文もやっと許せる気持ちになった。
好感の持てる語り口

この著者の本を読んだは初めてですが、なぜ人気があるのか、一読して納得できました。

専門に捉われず、常識人として総合的に物事を論じようとする姿勢、特定の権威や思想に頼らず、常に論拠や典拠を明示しようとする誠実さ、それでいて、あえて論壇プロレスを演じてみせるサービス精神など、現代の論客に求められる多くの資質を、著者は備えてます。

私は、個人的に「文学者の社会時評」みたいなものにやや偏見を持っていたのですが、氏の評論は、そのたぐいのものとは一味も二味も違います。もちろん、近世文学や民俗学に対する著者の造詣も十二分に生かされており、そういう意味でも、今までの論壇に欠けていた要素を補完する人材になっているのではないでしょうか。

この本は、大きく2つに分かれていて、前半には「反恋愛至上主義」、後半には「反売買春肯定論」に関する論文がおさめられています。

前半の「反恋愛至上主義」は、(著者自身も半ば認めているように)それほど奇をてらった主張ではなく、私個人も「一夫一婦制は恋愛市場における社会主義だ」みたいなことを(内輪の席で)言ったことがありますが、そのときの周囲の反応からしても、「誰もが内心思っていながら口には出さない」たぐいのことではなかったかとおもいます。そういう意味では、論壇のタブーを破ったという意義は(もしタブーだったとすれば)あるのかもしれませんが、議論自体は常識的なものです。

理論家としての著者の真価は、むしろ、後半の「反売買春肯定論」によく現れています。ここで著者は、売買春に関する議論の混乱を!!丁寧に解きほぐしており、読んでいて目から鱗が落ちる瞬間が少なからずありました。

また、90 年代前半に包括的なポストモダニズム批判を行いながら、あまり注目されることのなかった山崎正和氏の「近代の擁護」に言及していることにも、個人的に喝采しました。



角川書店
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